ヒルトップにようこそ 87

 週が変わって、火曜日の夕方のことだった。不意に綾子がヒルトップにやってきた。
「こんにちは」
「あ、いらっしゃい」
マスターが、水とおしぼりを持ってオーダーを取りにいくと、
「きょうは、茉莉さんは?」
と綾子が尋ねた。
「今、ちょっと買い出しに行ってます。何か?」
「いえ、この度は、姉妹(きょうだい)そろってお世話になってしまって、マスターにも、ホントになんて言ったらいいか・・・」
「いいんですよ。そんなこと。ところで、車は返してもらえましたか」
「ええ、ちょうど今ごろ、佐知子が引き取りに行ってるはずです。葛西さんも、昨日退院されたそうです」
「それは良かった。一件落着ですね」
「そうですね」
と言ったあと、綾子は少しためらいがちに、
「指輪は・・・、佐知子だったんでしょ?」
と切り出した。マスターは、どうしたものかと、しばらく綾子の目を見ながら考えていたが、
「やっぱり、お気づきですよね。茉莉ちゃんの下手な芝居じゃ」
「いえ、芝居していたのは、むしろ私なんです」
「どういうことですか?」
「指輪がなくなったと思ったときは、気が動転してしまって、思わずこちらにお願いにあがったんですが、冷静に考えてみれば、佐知子以外に考えられませんものね」
「車が盗られたときには、すでに気づいていらっしゃったんですね」
「ええ、まあ」
それで、葛西の部屋が荒らされたとき、自分の指輪を盗んだ者とでなく、佐知子のヴィッツを盗んだ者との関係を考えたのか。
「悪気はなかったようですから、責めないであげてくださいね」
「もちろんです。それより私が大騒ぎしたせいで、かえってあの子を追い込んじゃったのが心残りです。危険な目にも遭わせてしまって・・・」
綾子が眉間にしわを寄せた。
「ご存知だということは、茉莉ちゃんや佐知子さんには言わないであげてくださいますか?」
「そうですね。その方がいいでしょうね。あんなに一生懸命お芝居してくださったしね」
綾子がにっこりと笑いながら、
「でも、マスターには言わせていただきます。あの時、『電話番をしろ』っておっしゃったのは、私を巻き込まないためだってことも知ってますから」
「あはは。参ったな」
「マスターは、お芝居が下手ですね」
二人で笑っているところに、
「ただいま」
と茉莉が戻ってきた。
「あら、綾子さん。いらっしゃい」
と言ったあと、
「マスター、何やってんの? オーダーは取ったの?」
とマスターを叱った。マスターは、ペロリと舌を出して、綾子にウィンクしながら、
「はいはい、ごめんなさい」
と言いながら、カウンターに戻っていった。

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