ヒルトップにようこそ 35

 その時、いつの間にかカウンターに戻っていたマスターが、トレイにカップを載せて再び茉莉と佐知子のテーブルにやって来た。
「あー、ちょっとお邪魔します。これ、カモミールティー。『ヒルトップ(当店)』自慢のハーブティーです。気分が落ち着きますよ」
と、カップを二つ置いてまたカウンターに戻っていった。
 カモミールティー独特の、甘い、リンゴのような香りが広がった。マスターの言う通り、この香りだけでも気分が落ち着いてくるようだった。茉莉と佐知子は、しばらく無言でカップをすすっていた。やがて、佐知子が再び口を開いた。
「ホントは、指輪を隠すつもりなんて、全然なかったの。火曜日に、お姉ちゃんが仕事に行った後、ちょっと見てみたくて、ケースから取り出したの。はめてみたら、あたしの指にもピッタリで、しばらくはめたまま眺めたりしていたの。そしたら、そこへ田舎の母さんから電話がかかってきたの。用件は別になかったみたいだけれど、お姉ちゃんのこととか、就職のこととか、話してたの。そしたら、だんだんケンカになっちゃって、頭に血が上っちゃったの・・・」
母親と話をしていてケンカになってしまうことは茉莉もしょっちゅうだ。佐知子は続ける。
「で、短大に遅れそうになったし、慌てて家を飛び出したの。指輪をはめっぱなしだってことに気づいたのは、クルマに乗ってからだったわ」
「それで、グローブボックスへ?」
「うん、慌てて外して、コットンでくるんで、とりあえず入れたの。あんなのはめっぱなしで短大に行けないし、バッグに入れておくのも落としたりしそうで不安だったの。クルマに入れておけば少なくとも落とすことはないと思ったし。あとから、またお姉ちゃんがいない間にこっそり戻しておこうと思って。だけど、その日は、先にお姉ちゃんが帰ってきてたんで、何となく返しそびれちゃったの」
確かに、黙って持ち出したものは、黙って返したいものだろう。
「水曜日は、私の方が早く出たから、お姉ちゃんより先に帰って、お姉ちゃんが戻ってこないうちに戻しておこうと思ったら、ああなっちゃって、ますます返せなくなっちゃったの」
言っていることに嘘はないようだった。ちょっとした行き違いが、大ごとに発展してしまって、いちばん戸惑っているのは、佐知子自身のようだった。

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